この段では、一つの理論の定義体系を自分で立ち上げることを学ぶ。Part D で身につけた ε-論法・線形代数・離散的な証明の作法を土台に、位相・測度・複素解析・関数解析・抽象代数・離散構造・数理論理・多様体・位相幾何・微分幾何・圏論という、それぞれ独立した定義体系の入口を、証明を自分で書きながら通る。数値解析と数理統計では、これらの理論を計算と推測へ使う最初の体系も立ち上げる。単元数が21あるのは、この段が「専門を選ぶ前に、数学のいくつもの言語をひと通り立ち上げる」段だからである。
この段に置く単元
| 単元 | 扱うこと |
|---|---|
| 集合論入門 | 写像・濃度・選択公理と Zorn の補題から集合の存在原理、順序数と超限帰納法、基数算術、共終数と König の定理まで |
| 位相空間論 I | 距離空間の完備性と Baire の範疇定理から位相空間・コンパクト性・連結性・Tychonoff の定理・分離公理、写像空間と Arzelà–Ascoli の定理まで |
| 線形代数 II | 固有多項式と最小多項式から Jordan 標準形、双対空間と商空間、自己共役作用素のスペクトル定理、二次形式とテンソル積まで |
| 実解析 II | 偏微分と全微分から連鎖律・極値・陰関数定理、重積分と変数変換、一様収束による順序交換、ベクトル場の積分定理まで |
| 複素解析 | 正則性と Cauchy–Riemann の方程式から複素積分・Cauchy の定理、べき級数・留数・偏角の原理、等角写像と解析接続まで |
| 環論入門 | 環と左右加群、イデアル、局所化、完全列、鎖条件と加群の構造定理から、有限アーベル群の分類、中心単純代数と Brauer 群、射影分解による全次数の Ext・Tor と Yoneda 拡大まで |
| 群論入門 | 群・準同型・商群、自由群、群作用、群の拡大と有限群の構造から、群環と表現、Maschke の定理、全次数の群コホモロジー、低次の拡大による解釈、巡回群の計算、制限と誘導まで。展望では Hall 部分群、Fitting 部分群、Schur–Zassenhaus の定理を証明する |
| 体論入門 | 代数拡大と超越拡大、有限次・無限次 Galois 理論、有限体、円分拡大、Kummer・Artin–Schreier–Witt 理論から、連続 Galois コホモロジー、降下、交差積代数と Brauer 群の第二コホモロジーによる記述まで |
| 測度と積分 | 外測度による Lebesgue 測度の構成から可測関数と Lebesgue 積分、主要な収束定理と測度収束、Fubini–Tonelli の定理、L^p 空間、Hahn–Jordan 分解、Radon–Nikodym の定理まで。展望では Henstock–Kurzweil 積分を扱う |
| 常微分方程式 | 求積法と定数係数線形方程式から行列指数関数、縮小写像原理による解の存在と一意性、相平面の安定性、級数解と境界値問題まで |
| 確率論入門 | 確率空間と条件付き確率から確率変数、期待値、分布、独立性、変数変換、畳み込み、多変量正規分布、条件付き期待値へ進み、確率変数列の収束、Borel–Cantelli の補題と零一法則、特性関数、大数の法則、中心極限定理、指数型確率不等式まで |
| 関数解析入門 | ノルム空間と Banach 空間から有界作用素、Hahn–Banach の定理、基本3定理、弱位相、Hilbert 空間、コンパクト作用素とコンパクト自己共役作用素のスペクトル定理まで |
| 離散数学 II | 有限半順序集合と対称性による数え上げからマトロイド、最大フロー、マッチング、動的計画法、乱択・近似アルゴリズムまで |
| 数理統計 I | 確率変数と標本分布から尤度・十分統計量・点推定、信頼区間と仮説検定、線形回帰と分散分析まで |
| 計算理論 | 有限オートマトンと文脈自由言語から Turing 機械・型なしラムダ計算、決定不能性と帰着、時間・空間計算量、P・NP、NP 完全性まで。展望では確率的計算、対話型証明、回路計算量、量子計算モデルを扱う |
| 数理論理 | 命題論理と一階論理の構文・意味論・証明体系から完全性・コンパクト性へ進み、Robinson 算術 Q と Peano 算術 PA、算術化、表現可能性、不完全性、Church の定理、単純型付きラムダ計算と限定した Curry–Howard 対応まで |
| 多様体入門 | チャートとアトラスによる可微分多様体の定義から接空間・接束とテンソル場・部分多様体、ベクトル場と流れ、Lie 微分と Frobenius の定理、微分形式と外微分、内部積と Cartan の公式、境界を持つ多様体上の積分と Stokes の定理、de Rham コホモロジー、Lie 群と閉部分群定理、離散群の作用による商多様体まで |
| 位相幾何入門 | ホモトピー同値と基本群から被覆空間の分類と van Kampen の定理へ進み、Δ複体と特異ホモロジー、切除と Mayer–Vietoris、球面の写像度、胞体複体と胞体ホモロジー、Euler 標数、閉曲面の分類、カップ積によるコホモロジー環の計算、二次元の Poincaré 双対と交叉形式まで |
| 曲線と曲面 | 空間曲線の Frenet–Serret の公式から曲面の第一・第二基本形式、Gauss 曲率と驚異の定理、測地線と Gauss–Bonnet の定理まで |
| 数値解析 I | 浮動小数点と条件数から求根・補間・数値積分、線形方程式と固有値問題の反復法、確率分布からの標本生成と Monte Carlo 積分、常微分方程式の一段法、安定性・整合性・収束、再現可能な計算実験まで |
| 圏論 I | 圏・関手・自然変換から極限と余極限、普遍性による定義、随伴と右随伴の極限保存、米田の補題と圏同値まで |
この並びにした理由
21単元は、立ち上げる定義体系の種類によって7つのまとまりとして捉えることができる。
数値解析 I は、解析・代数・確率・統計・幾何の各単元の後、圏論 I の直前に置く。既に得た理論を有限な計算と誤差評価へ適用する位置づけである。個々の計算法は必要な前提を満たした時点から学ぶことができる。曲線と曲面の発展にある数値計算の経路では、数値解析 I の一段法と誤差評価を先に学ぶ。
近さと大きさ(集合論入門、位相空間論 I、測度と積分、確率論入門)は、Part D の ε-δ 論法が扱った「近い」と「大きさ」を、それぞれ位相と測度として一般化する。集合論入門は写像・濃度・選択公理という、分野を問わず用いる語彙を定め、位相空間論 I はコンパクト性・連結性という、以下の解析系の単元が当たり前のように使う語彙を用意する。測度と積分は Riemann 積分の限界を越えて、積分と極限の交換を条件として管理できるようにする。どちらも、この先の解析のほとんどが前提にする。確率論入門は、測度と積分の上に確率空間を置き、高等学校で計算として扱った確率を、独立性と条件付き期待値を備えた測度論的な体系として捉え直す。さらに、確率変数列の収束、Borel–Cantelli の補題と零一法則、特性関数、指数型確率不等式、大数の法則および中心極限定理までを一つの単元で扱う。
解析と関数空間(実解析 II、複素解析、常微分方程式、関数解析入門)は、Part D の1変数の実解析と線形代数を複数の方向へ広げる。実解析 II は変数を増やし、複素解析は数の範囲を複素数へ広げ、常微分方程式は対象を関数の関係式そのものへ移す。関数解析入門は、関数の全体を無限次元の線形空間として捉え、完備性、双対性、直交性および作用素のスペクトルを調べる。位相空間論 I が用意した完備性とコンパクト性、測度と積分が構成した L^p 空間は、この理論の基礎になる。
代数と線形(線形代数 II、環論入門、群論入門、体論入門、圏論 I)では、代数構造とそれを保つ写像を学ぶ。線形代数 II は Part D の行列計算から標準形の理論へ進む。環論入門は環と加群を構成し、加群の構造定理とホモロジー代数を供給する。群論入門は群の構造を調べ、環論の供給を群環と表現、群コホモロジーへ適用する。体論入門は体拡大を Galois 群によって記述し、連続コホモロジーと降下から Brauer 群の記述へ進む。圏論 I は線形空間・群・環・位相空間の構成を普遍性の言葉で比較する。
幾何(多様体入門、位相幾何入門、曲線と曲面)は、座標に依存しない量をどう構成するかという問いを共有する。多様体入門は座標のとり方に依らない微分の言葉を立ち上げ、Stokes の定理で古典的な積分定理を一つにまとめる。位相幾何入門は空間から群を取り出し、胞体分解によって不変量を数える。この二つは互いに独立であり、どちらも他方を前提としない。曲線と曲面は両方を前提として、三次元空間の曲面という具体的な対象の上で計算する。Part F の Riemann 幾何は、ここで作った言葉に計量を入れて曲率の理論へ進む。
計算と推測(数値解析 I、数理統計 I)は、Part E までに得た理論を具体的な近似とデータからの推測へ使う。数値解析 I は線形代数・実解析・確率論・常微分方程式を有限精度の計算へ移し、誤差・安定性・収束を区別する。確率論を前提にする経路では、確率分布からの標本生成と Monte Carlo 積分を扱う。常微分方程式を前提にする経路はあるが、使うのは基本的な解法と一段法の誤差評価であり、より深い作用素論や弱解の理論は要求しない。数理統計 I は確率論入門の確率変数と分布を標本・尤度・推定・検定の言葉へ移す。大数の法則と中心極限定理は結論を統計的に読むにとどめ、その証明は Part E の確率論入門が扱う。
離散構造と計算可能性(離散数学 II、計算理論)は、Part D の離散数学を二方向へ広げる。離散数学 II は半順序集合、群作用、マトロイド、フローといった標準的な構造を使い、中級的なアルゴリズムの正当性と計算量を証明する。計算理論は、そもそも何が計算可能かという問いへ進む。計算可能関数、計算可能帰着、型なしラムダ計算は、後続する数理論理における算術化、Church の定理、単純型付きラムダ計算の前提になる。
形式化(数理論理)は、Part A の命題論理を Boolean 代数と意味論から組み直し、一階論理の完全性とコンパクト性を証明する。さらに、算術の構文を自然数へ符号化して不完全性定理と Church の定理を証明し、直観主義論理と単純型付きラムダ計算の接続を扱う。Part F のモデル理論・証明論・公理的集合論が共有する形式言語をここで用意する。
参考にした基準
大学以降の配置は、複数の数学科の公開カリキュラムを比較し、共通して現れる学部前半〜中盤の構成を参考にしている。
- 東京大学 数学科カリキュラム
- 清華大学 数学系培養計画
- ボン大学 Bachelor Mathematik
- ケンブリッジ大学 Mathematical Tripos
- 高等師範学校(ENS) Mathématiques
複数校を比較すると、学部1年の解析・線形代数に続けて、群・位相・複素解析・多変数解析・曲面論を学部前半のうちに置き、そこから環・体、多様体、測度に基づく積分論へ進めるという順序が共通して現れる。ランキングを順序の根拠にはせず、複数校に共通するこの構成を採用している。
前の段・次の段へ
Part D(大学1年ごろ)の ε-論法と線形代数を終えていれば、この段に進むことができる。この段でいくつもの定義体系を立ち上げた経験を持つと、Part F(学部課程後期〜修士課程初期)では、異なる定義体系の対象を同じ議論の中で扱う段階へ進む。