§D3.20係数の範囲を取り替える

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必修の記事は、ベクトル空間の公理を体KKの上で述べたうえで、KKとしてはおもに実数の全体R\mathbb{R}を取ってきました(§D3.6 定義 1.1)。しかし、掃き出し法の各段で行ったのは加減乗除だけであり、取替え補題の証明で用いたのも、00でないスカラーが逆元をもつという一点だけです。そこでこの記事では、KKを取り替えたときに、必修の主張のどれがそのまま成り立ち、どれが成り立たなくなるかを確かめます。

分かれ目は、実数の順序を使ったかどうかにあります。掃き出し法、基底と次元の理論、行列式は、四則だけで進みますので係数の範囲を問いません。一方、内積の正定値性は⟨x⃗,x⃗⟩≥0\langle \vec x, \vec x\rangle \ge 0という不等式であり、大小の比較ができる係数でなければ書くことすらできません。あわせて、1+1=01 + 1 = 0が成り立つ体の上では、必修で当然のように行った22で割る操作が働かなくなることを見ます。体そのものの構成は「体と Galois 理論」が扱いますので、本記事は、線形代数の側から必要になる範囲だけを定めます。

1 係数として何を取ることができるか

はじめに、係数の範囲が満たすべき条件を書き下します。§D3.6 定義 1.1が「体KK」と書いていたものの中身です。

定義 1.1 (体). 集合KKに、和+:K×K→K+ : K \times K \to Kと積⋅:K×K→K\cdot : K \times K \to Kが定まっていて、次の条件をすべて満たすとき、KKを体という。

  • (F1) 和について、結合法則と交換法則が成り立つ。
  • (F2) ある元0∈K0 \in Kが存在して、すべてのx∈Kx \in Kについてx+0=xx + 0 = xが成り立つ。
  • (F3) 各x∈Kx \in Kについて、x+(−x)=0x + (-x) = 0を満たす元−x∈K-x \in Kが存在する。
  • (F4) 積について、結合法則と交換法則が成り立つ。
  • (F5) ある元1∈K1 \in Kが存在して、1≠01 \ne 0であり、すべてのx∈Kx \in Kについて1⋅x=x1 \cdot x = xが成り立つ。
  • (F6)x≠0x \ne 0である各x∈Kx \in Kについて、x⋅x−1=1x \cdot x^{-1} = 1を満たす元x−1∈Kx^{-1} \in Kが存在する。
  • (F7) すべてのx,y,z∈Kx, y, z \in Kについてx(y+z)=xy+xzx(y + z) = xy + xzが成り立つ(分配法則)。

実数の全体R\mathbb{R}と複素数の全体C\mathbb{C}が体であることは、四則の性質そのものです。有理数の全体Q\mathbb{Q}も、和・差・積・00でない数による商のいずれについても有理数の範囲から出ませんので、体です。これらはいずれも元が無限個あります。元が有限個の場合を、最も小さい例で確かめます。

命題 1.2 (二つの元からなる体). 集合F2={0,1}\mathbb{F}_2 = \{0, 1\}に、和と積を次の表で定める。

++ 00 11
00 00 11
11 11 00
⋅\cdot 00 11
00 00 00
11 00 11

このときF2\mathbb{F}_2は定義 1.1の条件をすべて満たす。

証明. 表から、x+yx + yはxxとyyが等しいとき00、異なるとき11である。言い換えると、x+yx + yはx,yx, yのうち11であるものの個数が偶数のとき00、奇数のとき11に等しい。したがって(x+y)+z(x+y)+zとx+(y+z)x+(y+z)はいずれも、x,y,zx, y, zのうち11であるものの個数が偶数のとき00、奇数のとき11に等しく、両者は一致する。これが (F1) の結合法則である。交換法則は表が対角線について対称であることによる。(F2) は0+0=00 + 0 = 0と1+0=11 + 0 = 1による。(F3) は0+0=00 + 0 = 0と1+1=01 + 1 = 0により、−0=0-0 = 0、−1=1-1 = 1と取ればよい。

表から、xyxyはxxとyyがともに11のとき11、それ以外のとき00である。したがって(xy)z(xy)zとx(yz)x(yz)はいずれも、x,y,zx, y, zがすべて11のとき11、それ以外のとき00に等しく、両者は一致する。交換法則は表の対称性による。これが (F4) である。(F5) は1≠01 \ne 0と1⋅0=01 \cdot 0 = 0、1⋅1=11 \cdot 1 = 1による。(F6) は、00でない元が11だけであり、1⋅1=11 \cdot 1 = 1であることによる。

(F7) を確かめる。x=0x = 0のとき、左辺は0⋅(y+z)=00 \cdot (y+z) = 0、右辺は0+0=00 + 0 = 0である。x=1x = 1のとき、左辺はy+zy + z、右辺もy+zy + zである。よって分配法則が成り立つ。▨

F2\mathbb{F}_2の和は、二つの真理値の排他的論理和と同じ表をもち、積は論理積と同じ表をもちます。以下の議論と、次の記事「線形符号と誤り訂正」で用いる有限個の元からなる体は、このF2\mathbb{F}_2だけです。元の個数が33以上の場合については、主張だけを述べて委ねます。

注意 1.3 (体の構成について委ねる範囲). 本記事は、次の三つを、本文の他の主張の根拠には用いず、主張だけを述べる。証明は「体と Galois 理論」へ委ねる。

  1. ppを素数とし、{0,1,…,p−1}\{0, 1, \dots, p-1\}に、整数としての和と積をppで割った余りを取る演算を定めると、体になる。この体をFp\mathbb{F}_pと書く。p=2p = 2の場合が命題 1.2である。余りを取る操作が和と積を保つことは「初等整数論」が扱う。
  2. 元の個数が有限である体では、その個数が素数のべきpmp^mに限る。逆に、各素数ppと各正の整数mmに対して、元の個数がpmp^mである体が存在し、和と積を保つ全単射を除いてただ一つに定まる。
  3. 各体KKに対し、KKを含み、かつ11次以上のどの多項式も根をもつ体が存在する。これをKKの代数閉包という。R\mathbb{R}に対するC\mathbb{C}がその例である。

2 体の標数

必修の記事では、11を何回足しても00にならないことを暗黙に使ってきました。実数と複素数では実際にそのとおりですが、命題 1.2のF2\mathbb{F}_2では1+1=01 + 1 = 0です。この違いを量として取り出します。

定義 2.1 (標数). 体KKと正の整数nnに対し、n⋅1n \cdot 1でKKの元11をnn個足したものを表す。n⋅1=0n \cdot 1 = 0を満たす正の整数nnが存在するとき、そのうち最小のものをKKの標数といい、char⁡K\operatorname{char} Kと書く。そのようなnnが存在しないとき、KKの標数を00と定める。

Q\mathbb{Q}、R\mathbb{R}、C\mathbb{C}の標数は00です。F2\mathbb{F}_2の標数は、1≠01 \ne 0かつ2⋅1=1+1=02 \cdot 1 = 1 + 1 = 0ですので22です。標数として現れる値は、次のとおり限られます。

命題 2.2 (標数は 0 であるか素数であるかのいずれかである). 体KKの標数は、00であるか素数であるかのいずれかである。

証明.char⁡K=n>0\operatorname{char} K = n > 0とする。まずn≠1n \ne 1である。n=1n = 1とすると1⋅1=1=01 \cdot 1 = 1 = 0となり、定義 1.1の (F5) が要求する1≠01 \ne 0に反するからである。

nnが素数でないと仮定する。このときn=abn = abを満たす整数a,ba, bで1<a<n1 < a < n、1<b<n1 < b < nを満たすものが存在する。分配法則 (F7) を繰り返し用いると、任意の正の整数a,ba, bについて

(a⋅1)(b⋅1)=(ab)⋅1(a \cdot 1)(b \cdot 1) = (ab) \cdot 1

が成り立つ。実際、bbについての帰納法により(a⋅1)(b⋅1)=(a⋅1)((b−1)⋅1+1)=(a⋅1)((b−1)⋅1)+a⋅1(a \cdot 1)(b \cdot 1) = (a\cdot 1)\bigl((b-1)\cdot 1 + 1\bigr) = (a\cdot 1)\bigl((b-1)\cdot 1\bigr) + a \cdot 1であり、帰納法の仮定から右辺は(a(b−1))⋅1+a⋅1=(ab)⋅1(a(b-1))\cdot 1 + a\cdot 1 = (ab)\cdot 1に等しい。

したがって(a⋅1)(b⋅1)=n⋅1=0(a\cdot 1)(b\cdot 1) = n \cdot 1 = 0である。ここでa⋅1≠0a \cdot 1 \ne 0と仮定すると、 (F6) により(a⋅1)−1(a\cdot 1)^{-1}が存在し、b⋅1=(a⋅1)−1(a⋅1)(b⋅1)=(a⋅1)−1⋅0=0b \cdot 1 = (a\cdot 1)^{-1}(a\cdot 1)(b\cdot 1) = (a\cdot 1)^{-1}\cdot 0 = 0となる。よってa⋅1=0a \cdot 1 = 0またはb⋅1=0b \cdot 1 = 0であるが、1<a<n1 < a < nかつ1<b<n1 < b < nであるから、いずれもnnが最小であることに反する。したがってnnは素数である。▨

標数が22である場合には、必修の記事が用いた操作のうち、符号の反転と22で割ることが働かなくなります。

命題 2.3 (標数が 2 である体の上で起こること).KKを標数が22である体とする。

  1. すべてのx∈Kx \in Kについてx=−xx = -xが成り立つ。
  2. KKの成分をもつ正方行列AAについて、A⊤=AA^{\top} = AとA⊤=−AA^{\top} = -Aは同値である。
  3. 2⋅1=02 \cdot 1 = 0であるから、2⋅12 \cdot 1はKKの中で逆元をもたない。

証明. 1について。char⁡K=2\operatorname{char}K = 2より1+1=01 + 1 = 0であるから、分配法則 (F7) によりx+x=(1+1)x=0⋅x=0x + x = (1+1)x = 0 \cdot x = 0である。ここで0⋅x=00 \cdot x = 0は0⋅x=(0+0)x=0⋅x+0⋅x0 \cdot x = (0+0)x = 0\cdot x + 0 \cdot xの両辺に0⋅x0\cdot xの加法の逆元を足して得られる。x+x=0x + x = 0は、xxの加法の逆元がxx自身であること、すなわちx=−xx = -xを意味する。

2について。1により、行列−A-Aの各成分はAAの対応する成分に等しいから−A=A-A = Aである。したがってA⊤=AA^{\top} = AとA⊤=−AA^{\top} = -Aは同じ条件である。

3について。2⋅1=02 \cdot 1 = 0であり、(F6) が逆元の存在を保証するのは00でない元についてだけである。00が逆元をもつと仮定すると1=0⋅0−1=01 = 0 \cdot 0^{-1} = 0となり、(F5) に反する。▨

標数が22でない体の上では、任意の正方行列AAをA=12(A+A⊤)+12(A−A⊤)A = \frac{1}{2}(A + A^{\top}) + \frac{1}{2}(A - A^{\top})と書くことにより、A⊤=AA^\top = Aを満たす行列とA⊤=−AA^\top = -Aを満たす行列の和へ分けることができます。この式は命題 2.3の3により、標数22ではそのまま書き写すことができません。書き写すことができないだけでなく、分解そのものが存在しない場合があります。

例 2.4 (標数 2 では対称な行列の和へ分けることができない).F2\mathbb{F}_2の成分をもつ行列

A=(0100)A = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 0 & 0 \end{pmatrix}

を取ります。A=S+NA = S + N、S⊤=SS^{\top} = S、N⊤=−NN^{\top} = -Nを満たす行列S,NS, Nが存在すると仮定します。命題 2.3の2により、F2\mathbb{F}_2の上ではN⊤=−NN^{\top} = -NとN⊤=NN^{\top} = Nは同じ条件ですので、SSとNNはいずれも転置しても変わらず、A⊤=S⊤+N⊤=S+N=AA^\top = S^\top + N^\top = S + N = Aとなります。ところがA⊤=(0010)≠AA^\top = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 1 & 0\end{pmatrix} \ne Aですので、そのようなSSとNNは存在しません。標数が22でない体の上では、上に書いた式によって分解がつねに存在しますので、この主張は標数に依存します。

3 係数の範囲を問わず成り立つもの

ここからは、必修の記事で証明した主張を順に取り上げ、その証明がKKの何を用いているかを確かめます。以下、KKは任意の体とし、KKの元を成分とする行列と、KKの上のベクトル空間を扱います。

命題 3.1 (行基本変形は解の集合を変えない).KKを体とし、AAをKKの成分をもつm×nm \times n行列、b⃗∈Km\vec b \in K^mとする。拡大係数行列[A∣b⃗][A \mid \vec b]に対して、次の3種の操作を行っても、Ax⃗=b⃗A\vec x = \vec bの解の集合は変わらない。

  1. 二つの行を入れ替える。
  2. 一つの行に、00でないc∈Kc \in Kを掛ける。
  3. 一つの行に、他の行のc∈Kc \in K倍を加える。

証明. どの操作についても、変形後の各行の等式が変形前の等式から従うことは、和とスカラー倍を取るだけで確かめることができる。したがって変形前の解は変形後の解である。逆向きを示すには、各操作に逆の操作があることを言えばよい。1については同じ入れ替えが逆の操作である。2についてはc≠0c \ne 0より定義 1.1の (F6) がc−1c^{-1}を与え、その行にc−1c^{-1}を掛ける操作が逆である。3については、同じ行に他の行の−c-c倍を加える操作が逆であり、−c-cは (F3) が与える。よって変形後の解も変形前の解である。用いたのは (F3) と (F6) だけであり、KKの元の大小は用いていない。▨

命題 3.2 (基底と次元の理論は係数の範囲を問わない).KKを体とし、VVをKKの上のベクトル空間とする。必修の記事で証明した次の主張は、KKをR\mathbb{R}に取り替えてもF2\mathbb{F}_2に取り替えても、他のどの体に取り替えても、同じ証明で成り立つ。

  1. 取替え補題(§D3.8 補題 3.1)
  2. 次元が基底の取り方によらないこと(§D3.8 定理 3.2)
  3. 一次独立な組を基底へ延長することができること(§D3.11 補題 1.2)
  4. 次元定理(§D3.11 定理 2.1)

証明. 1の証明がKKについて用いるのは、bk+1≠0b_{k+1} \ne 0のときにw⃗k+1=bk+1−1(u⃗k+1−∑i≤kaiu⃗i−∑j>k+1bjw⃗j)\vec w_{k+1} = b_{k+1}^{-1}\bigl(\vec u_{k+1} - \sum_{i \le k} a_i \vec u_i - \sum_{j > k+1} b_j \vec w_j\bigr)と書き直す一箇所だけであり、ここで用いているのは定義 1.1の (F6) である。他の各段は、一次結合を作ること、和を取ること、加法の逆元を取ることに尽きる。

2の証明は、1を2回、役割を入れ替えて適用するだけであるから、1と同じ条件で成り立つ。

3の証明は、張る空間に属さないベクトルを付け加えると一次独立性が保たれることを繰り返し用いる。その一手(§D3.11 補題 1.1)が用いるのは、係数bbが00でないときにb−1b^{-1}を掛けることであり、やはり (F6) である。繰り返しが有限回で止まることは、1から従う。

4の証明は、核の基底をVVの基底へ延長し、延長した分の像が像空間の基底になることを示すもので、用いるのは3と、線形写像の定義(和とスカラー倍を保つこと)だけである。

以上のいずれにも、KKの元の大小、絶対値、極限は現れない。▨

行列式についても同じことが言えますが、一箇所だけ、標数によって述べ方を変える必要があります。そこで、必修の記事「行列式」が置換にわたる和として与えた表示を出発点に取り、その表示から直ちに従う二つの性質を、係数を任意の体としたまま示します。

命題 3.3 (行列式の交代性は係数の範囲を問わない).KKを体とし、A=(aij)A = (a_{ij})をKKの成分をもつnn次正方行列とする。行列式を、nn文字の置換σ\sigmaにわたる和

det⁡A=∑σsgn⁡(σ) a1σ(1)a2σ(2)⋯anσ(n)\det A = \sum_{\sigma} \operatorname{sgn}(\sigma)\, a_{1\sigma(1)}a_{2\sigma(2)}\cdots a_{n\sigma(n)}

によって定める。ここでsgn⁡(σ)\operatorname{sgn}(\sigma)が+1+1のときはKKの元11を、−1-1のときはKKの元−1-1を掛けるものと読む。このとき次が成り立つ。

  1. det⁡A\det Aは各行について線形である。すなわち、他の行を固定して第ii行だけを動かすと、det⁡A\det Aは第ii行の成分の一次式であり、定数項をもたない。
  2. AAの相異なる二つの行が等しいならばdet⁡A=0\det A = 0である。

証明. 1について。和の各項sgn⁡(σ)a1σ(1)⋯anσ(n)\operatorname{sgn}(\sigma)a_{1\sigma(1)}\cdots a_{n\sigma(n)}は、各行からちょうど一つずつ成分を取った積であるから、第ii行の成分aiσ(i)a_{i\sigma(i)}をちょうど1次だけ含む。したがって各項は第ii行の成分について一次であり、定数項をもたない。有限個の和も同じ性質をもつ。用いたのは積の分配法則だけである。

2について。第kk行と第ll行が等しいとする(k≠lk \ne l)。τ\tauをkkとllを入れ替える互換とし、nn文字の置換の全体を、σ\sigmaとστ\sigma\tauの組へ分ける。ττ\tau\tauが恒等置換であることから、この分け方は置換の全体をちょうど二つずつの組へ分割する。一つの組について、二つの項の積の部分は

a1στ(1)⋯anστ(n)=a1σ(1)⋯anσ(n)a_{1\sigma\tau(1)}\cdots a_{n\sigma\tau(n)} = a_{1\sigma(1)}\cdots a_{n\sigma(n)}

を満たす。実際、στ\sigma\tauはkkとllの位置でだけσ\sigmaと異なり、akσ(l)alσ(k)a_{k\sigma(l)}a_{l\sigma(k)}という積が現れるが、第kk行と第ll行が等しいことからakσ(l)=alσ(l)a_{k\sigma(l)} = a_{l\sigma(l)}、alσ(k)=akσ(k)a_{l\sigma(k)} = a_{k\sigma(k)}であり、積はakσ(k)alσ(l)a_{k\sigma(k)}a_{l\sigma(l)}に等しいからである。一方、符号についてはsgn⁡(στ)=−sgn⁡(σ)\operatorname{sgn}(\sigma\tau) = -\operatorname{sgn}(\sigma)である。したがって、この組の二つの項の和は、t=a1σ(1)⋯anσ(n)t = a_{1\sigma(1)}\cdots a_{n\sigma(n)}とε=sgn⁡(σ)\varepsilon = \operatorname{sgn}(\sigma)を用いてεt+(−ε)t=(ε+(−ε))t=0⋅t=0\varepsilon t + (-\varepsilon)t = \bigl(\varepsilon + (-\varepsilon)\bigr)t = 0 \cdot t = 0となる。すべての組について和が00であるからdet⁡A=0\det A = 0である。用いたのは分配法則と加法の逆元だけであり、標数を問わない。▨

注意 3.4 (積の行列式と正則性については委ねる). 必修の記事「行列式」は、上の二つのほかに、二つの行を入れ替えると符号が変わること、det⁡(AB)=det⁡A⋅det⁡B\det(AB) = \det A \cdot \det Bであること、およびdet⁡A≠0\det A \ne 0とAAが正則であることが同値であることを挙げた。これらも係数を任意の体としたまま成り立つが、本記事はこれらを他の主張の根拠として用いず、証明は参考文献へ委ねる。

ただし、二つの行を入れ替えると符号が変わるという性質の述べ方には注意を要する。標数が22でない体の上では、この性質と命題 3.3の2は互いに導き合う。しかし標数が22の体の上では、命題 2.3の1により+1=−1+1 = -1であるから、前者は「値が変わらない」と述べているにすぎず、後者を導かない。したがって、係数の範囲を問わない形で行列式を特徴づけるときには、行を入れ替えたときの符号ではなく、命題 3.3の2を採る。

例 3.5 (F2 の上での掃き出しと行列式).F2\mathbb{F}_2の成分をもつ行列

A=(110011101)A = \begin{pmatrix} 1 & 1 & 0 \\ 0 & 1 & 1 \\ 1 & 0 & 1 \end{pmatrix}

を扱います。F2\mathbb{F}_2では1+1=01 + 1 = 0、−1=1-1 = 1ですので、行を引く操作と足す操作は同じものです。

第3行から第1行を引く、すなわち第3行に第1行を足すと、第3行は(0,1,1)(0, 1, 1)になります。これは第2行と同じですので、第3行に第2行を足すと第3行は(0,0,0)(0,0,0)になります。命題 3.1により、この変形はAx⃗=0⃗A\vec x = \vec 0の解の集合を変えません。残った二つの行(1,1,0)(1,1,0)と(0,1,1)(0,1,1)からx1+x2=0x_1 + x_2 = 0、x2+x3=0x_2 + x_3 = 0が得られ、F2\mathbb{F}_2では−1=1-1 = 1ですのでx1=x2=x3x_1 = x_2 = x_3です。したがってKer⁡A={(0,0,0)⊤,(1,1,1)⊤}\operatorname{Ker}A = \{(0,0,0)^{\top}, (1,1,1)^{\top}\}であり、dim⁡Ker⁡A=1\dim \operatorname{Ker}A = 1です。検算するとA(1,1,1)⊤=(1+1+0, 0+1+1, 1+0+1)⊤=(0,0,0)⊤A(1,1,1)^{\top} = (1+1+0,\ 0+1+1,\ 1+0+1)^{\top} = (0,0,0)^{\top}となります。§D3.10 定義 2.1と§D3.11 定理 2.1よりrank⁡A=3−1=2\operatorname{rank}A = 3 - 1 = 2です。

行列式を、命題 3.3の表示から直接求めます。33次の場合、置換は66個あり、F2\mathbb{F}_2では−1=1-1 = 1ですので、符号を区別せずに66個の項を足せば済みます。

det⁡A=a11a22a33+a12a23a31+a13a21a32+a11a23a32+a12a21a33+a13a22a31\det A = a_{11}a_{22}a_{33} + a_{12}a_{23}a_{31} + a_{13}a_{21}a_{32} + a_{11}a_{23}a_{32} + a_{12}a_{21}a_{33} + a_{13}a_{22}a_{31}

に成分を代入すると、00でない項はa11a22a33=1a_{11}a_{22}a_{33} = 1とa12a23a31=1a_{12}a_{23}a_{31} = 1の二つだけであり、残り四つはいずれも因子に00を含みます。よってdet⁡A=1+1=0\det A = 1 + 1 = 0です。AAの三つの行の和が(0,0,0)(0,0,0)であることから、行は一次従属であり、det⁡A=0\det A = 0となる結果と整合します。

4 実数の順序に依存するもの

必修の記事のうち、内積を定めた「内積とグラム・シュミットの直交化」から先は、事情が変わります。§D3.14 定義 1.1の正定値性は⟨x⃗,x⃗⟩≥0\langle \vec x, \vec x\rangle \ge 0という不等式ですので、係数の範囲に大小の比較が入っていなければ、条件を書くことができません。そこで、大小の比較が入る体を定め、どの体がそれに当たるかを調べます。

定義 4.1 (順序体). 体KKに、KKの任意の二つの元が比較可能である順序<<が定まっていて、次の二つを満たすとき、KKを順序体という。

  1. すべてのx,y,z∈Kx, y, z \in Kについて、x<yx < yならばx+z<y+zx + z < y + zである。
  2. すべてのx,y∈Kx, y \in Kについて、0<x0 < xかつ0<y0 < yならば0<xy0 < xyである。

命題 4.2 (順序体の標数は 0 である).KKを順序体とするとchar⁡K=0\operatorname{char} K = 0である。

証明. まず0<10 < 1を示す。定義 1.1の (F5) より1≠01 \ne 0であるから、順序が比較可能であることにより0<10 < 1または1<01 < 0のいずれかである。1<01 < 0と仮定する。定義 4.1の1でz=−1z = -1とすると1+(−1)<0+(−1)1 + (-1) < 0 + (-1)、すなわち0<−10 < -1である。同2により0<(−1)(−1)0 < (-1)(-1)である。ここで(−1)(−1)=1(-1)(-1) = 1が成り立つ。実際、分配法則 (F7) により(−1)(−1)+(−1)=(−1)(−1)+(−1)⋅1=(−1)((−1)+1)=(−1)⋅0=0(-1)(-1) + (-1) = (-1)(-1) + (-1)\cdot 1 = (-1)\bigl((-1) + 1\bigr) = (-1)\cdot 0 = 0であるから、(−1)(−1)(-1)(-1)は−1-1の加法の逆元、すなわち11である。よって0<10 < 1となり、1<01 < 0と比較可能性に矛盾する。したがって0<10 < 1である。

次に、すべての正の整数nnについて0<n⋅10 < n \cdot 1であることを、nnについての帰納法で示す。n=1n = 1の場合は上に示した。0<n⋅10 < n\cdot 1とすると、定義 4.1の1でz=1z = 1として1<n⋅1+1=(n+1)⋅11 < n\cdot 1 + 1 = (n+1)\cdot 1を得る。0<10 < 1と順序の推移性から0<(n+1)⋅10 < (n+1)\cdot 1である。

したがって、すべての正の整数nnについてn⋅1≠0n \cdot 1 \ne 0であり、定義 2.1によりchar⁡K=0\operatorname{char}K = 0である。▨

系 4.3 (有限個の元からなる体は順序体にならない). 元の個数が有限である体KKには、定義 4.1の条件を満たす順序を定めることができない。

証明.KKの元が有限個であるとすると、元1⋅1,2⋅1,3⋅1,…1\cdot 1, 2\cdot 1, 3\cdot 1, \dotsの中に等しいものがある。a⋅1=b⋅1a \cdot 1 = b\cdot 1(a<ba < b)とすると(b−a)⋅1=0(b - a)\cdot 1 = 0であるから、char⁡K>0\operatorname{char}K > 0である。命題 4.2の対偶により、KKは順序体ではない。▨

順序を定めることができませんので、正定値性を要求する内積をF2\mathbb{F}_2の上で定めることもできません。実数の場合に用いた式をそのまま書いてみると、何が起こるかがはっきりします。

例 4.4 (F2 の上では成分の積の和が正定値でない).F22\mathbb{F}_2^2の上で、実数の場合と同じ式⟨x⃗,y⃗⟩=x1y1+x2y2\langle \vec x, \vec y\rangle = x_1y_1 + x_2y_2を考えます。x⃗=(1,1)⊤\vec x = (1,1)^{\top}を取ると

⟨x⃗,x⃗⟩=1⋅1+1⋅1=1+1=0\langle \vec x, \vec x\rangle = 1\cdot 1 + 1 \cdot 1 = 1 + 1 = 0

です。x⃗≠0⃗\vec x \ne \vec 0ですので、§D3.14 定義 1.1の正定値性のうち「⟨x⃗,x⃗⟩=0\langle \vec x,\vec x\rangle = 0となるのはx⃗=0⃗\vec x = \vec 0のときに限る」が成り立ちません。したがって§D3.14 定義 1.3のノルムも定まらず、§D3.14 定理 2.1のグラム・シュミットの手続きも、u⃗i\vec u_iを∥u⃗i∥\|\vec u_i\|で割る段で止まります。この手続きを用いて証明した直交行列による対角化、QR 分解、特異値分解も、同じ理由でF2\mathbb{F}_2の上では成り立ちません。

固有値についても、係数の範囲が結論を変えます。実数の範囲では固有多項式が根をもつとは限らず、複素数まで広げれば根がつねに存在することは、必修の記事「固有値と固有ベクトル」で確かめました。複素数がこの役割を果たすのは、注意 1.3の3の意味でR\mathbb{R}の代数閉包になっているからです。F2\mathbb{F}_2は、11次以上のどの多項式も根をもつという性質を満たしません。

例 4.5 (F2 の上で固有値をもたない対称行列).F2\mathbb{F}_2の成分をもつ行列

A=(0111)A = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 1 & 1 \end{pmatrix}

を取ります。A⊤=AA^{\top} = Aですので、AAは対称です。固有多項式は

det⁡(λI−A)=det⁡(λ11λ+1)=λ(λ+1)−1=λ2+λ+1\det(\lambda I - A) = \det\begin{pmatrix} \lambda & 1 \\ 1 & \lambda + 1\end{pmatrix} = \lambda(\lambda+1) - 1 = \lambda^2 + \lambda + 1

です(F2\mathbb{F}_2では−1=1-1 = 1ですので、符号を書き分けていません)。F2\mathbb{F}_2の元は00と11だけですので、代入して調べます。λ=0\lambda = 0のとき値は11、λ=1\lambda = 1のとき値は1+1+1=11 + 1 + 1 = 1であり、いずれも00ではありません。よってAAはF2\mathbb{F}_2の中に固有値をもたず、§D3.13 定理 1.2により対角化することができません。

必修の記事「直交行列と実対称行列の対角化」が示したのは、実数を成分とする対称行列が直交行列によって対角化されることでした。この例は、その主張が係数の範囲を実数としたことに支えられており、「対称である」という条件だけからは従わないことを示しています。

6 自分で確かめる

次の三つを、資料を見ずに行ってください。

  1. F2\mathbb{F}_2の成分をもつ行列B=(1110)B = \begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & 0\end{pmatrix}の逆行列を、命題 3.1の 3種の操作だけを用いた掃き出し法で求めてください。求めた行列をBBに掛けて、単位行列になることを確かめてください。あわせて命題 3.3の表示からdet⁡B\det Bを計算し、00でないことを確かめてください。
  2. 命題 2.3の2を用いて、F2\mathbb{F}_2の成分をもつ22次正方行列のうちA⊤=−AA^{\top} = -Aを満たすものをすべて挙げてください。実数を成分とする22次正方行列で同じ条件を満たすものの全体と比べ、次元がいくつ違うかを述べてください。
  3. 命題 4.2の証明のうち、(−1)(−1)=1(-1)(-1) = 1を示した部分を、用いた条件の番号を挙げながら書き直してください。

2では、F2\mathbb{F}_2の上では条件がA⊤=AA^{\top} = Aと同じになりますので、対称な行列の全体を数えることになります。実数の場合の答えとは次元が異なります。

参考文献

  1. Serge Lang, Linear Algebra, 3rd ed., Springer, New York, 1987.係数を任意の体としたベクトル空間と線形写像の理論を参考にしました。
  2. Kenneth Hoffman and Ray Kunze, Linear Algebra, 2nd ed., Prentice Hall, Englewood Cliffs, N.J., 1971.体の上のベクトル空間としての線形代数と、係数の範囲が効く箇所の区別を参考にしました。
  3. Rudolf Lidl and Harald Niederreiter, Introduction to Finite Fields and their Applications, revised ed., Cambridge University Press, Cambridge, 1994.有限個の元からなる体の構成と性質を参考にしました。

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