§D3.6ベクトル空間の公理と例

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数ベクトル、行列、多項式、関数は、いずれも和とスカラー倍を備えている。これらに共通する計算規則を公理として抽出したものがベクトル空間である。本稿ではベクトル空間を定義し、基本的な計算規則と標準例を公理から導く。

1 ベクトル空間の公理

定義 1.1 (ベクトル空間). 体KKを固定する(KKの元をスカラーという)。集合VVに和+:V×V→V+ : V \times V \to Vとスカラー倍⋅:K×V→V\cdot : K \times V \to Vが定義され、任意のx⃗,y⃗,z⃗∈V\vec x, \vec y, \vec z \in Vとc,d∈Kc, d \in Kに対して次の8条件を満たすとき、VVをKK上のベクトル空間という。

  • (V1)(x⃗+y⃗)+z⃗=x⃗+(y⃗+z⃗)(\vec x + \vec y) + \vec z = \vec x + (\vec y + \vec z)(和の結合法則)
  • (V2)x⃗+y⃗=y⃗+x⃗\vec x + \vec y = \vec y + \vec x(和の交換法則)
  • (V3) ある元0⃗∈V\vec 0 \in Vが存在して、すべてのx⃗\vec xに対しx⃗+0⃗=x⃗\vec x + \vec 0 = \vec x(零ベクトル)
  • (V4) 各x⃗\vec xに対しある元−x⃗∈V-\vec x \in Vが存在してx⃗+(−x⃗)=0⃗\vec x + (-\vec x) = \vec 0(逆元)
  • (V5)c(x⃗+y⃗)=cx⃗+cy⃗c(\vec x + \vec y) = c\vec x + c\vec y
  • (V6)(c+d)x⃗=cx⃗+dx⃗(c + d)\vec x = c\vec x + d\vec x
  • (V7)(cd)x⃗=c(dx⃗)(cd)\vec x = c(d\vec x)
  • (V8)1x⃗=x⃗1\vec x = \vec x

注意 1.2. ベクトル空間の定義は、元の具体的な表示ではなく、二つの演算が満たす規則だけに依存する。同じ集合でもスカラー体を変えれば異なるベクトル空間になり得るため、体KKは構造の一部である。以下の例では主としてK=RK=\RまたはK=CK=\Cを扱う。

2 公理から導かれる基本性質

0⃗\vec 0の一意性や0x⃗=0⃗0\vec x=\vec 0は定義に直接含まれず、公理から導かれる性質である。

命題 2.1 (零ベクトル・逆元の一意性). ベクトル空間VVにおいて、(V3) の零ベクトル0⃗\vec 0はただ一つであり、各x⃗\vec xの逆元 (V4) もただ一つである。

証明.0⃗,0⃗′\vec 0, \vec 0'がともに零ベクトルなら、(V3) を0⃗′\vec 0'について、次いで (V2)、さらに (V3) を0⃗\vec 0について用いて0⃗=0⃗+0⃗′=0⃗′+0⃗=0⃗′\vec 0 = \vec 0 + \vec 0' = \vec 0' + \vec 0 = \vec 0'。したがって零ベクトルは一意である。次にy⃗,y⃗′\vec y, \vec y'がともにx⃗\vec xの逆元とすると、y⃗=y⃗+0⃗=y⃗+(x⃗+y⃗′)=(y⃗+x⃗)+y⃗′=0⃗+y⃗′=y⃗′\vec y = \vec y + \vec 0 = \vec y + (\vec x + \vec y') = (\vec y + \vec x) + \vec y' = \vec 0 + \vec y' = \vec y'。したがって逆元も一意である。▨

命題 2.2 (スカラー倍の計算規則). 任意のx⃗∈V\vec x \in V,c∈Kc \in Kに対し次が成り立つ。

  1. 0x⃗=0⃗0\vec x = \vec 0
  2. c0⃗=0⃗c\vec 0 = \vec 0
  3. (−1)x⃗=−x⃗(-1)\vec x = -\vec x
  4. cx⃗=0⃗ ⇒ c=0c\vec x = \vec 0 \ \Rightarrow\ c = 0またはx⃗=0⃗\vec x = \vec 0

証明. (1) (V6) より0x⃗=(0+0)x⃗=0x⃗+0x⃗0\vec x = (0 + 0)\vec x = 0\vec x + 0\vec xである。両辺に0x⃗0\vec xの逆元を加えると0⃗=0x⃗\vec 0 = 0\vec xを得る。 (2) (V5) よりc0⃗=c(0⃗+0⃗)=c0⃗+c0⃗c\vec 0 = c(\vec 0 + \vec 0) = c\vec 0 + c\vec 0。同様に両辺にc0⃗c\vec 0の逆元を加えて0⃗=c0⃗\vec 0 = c\vec 0を得る。 (3)x⃗+(−1)x⃗=1x⃗+(−1)x⃗=(1+(−1))x⃗=0x⃗=0⃗\vec x + (-1)\vec x = 1\vec x + (-1)\vec x = (1 + (-1))\vec x = 0\vec x = \vec 0(順に (V8), (V6), (1))。逆元の一意性(命題 2.1)より(−1)x⃗=−x⃗(-1)\vec x = -\vec x。 (4)cx⃗=0⃗c\vec x = \vec 0かつc≠0c \ne 0とする。KKは体だからc−1c^{-1}が存在し、x⃗=1x⃗=(c−1c)x⃗=c−1(cx⃗)=c−10⃗=0⃗\vec x = 1\vec x = (c^{-1}c)\vec x = c^{-1}(c\vec x) = c^{-1}\vec 0 = \vec 0(順に (V8), (V7), (2))である。したがってx⃗=0⃗\vec x = \vec 0である。▨

注意 2.3.命題 2.2の第4項は、スカラーとベクトルの積が零ベクトルならば、スカラーまたはベクトルが零であることを述べる。この性質は一次独立性を扱う際にも用いられ、KKの非零元が可逆であることに依存する。

3 標準例

命題 3.1. 正の整数m,nm,nと実数a<ba<bを取る。通常の和と実数倍に関して、次の集合はいずれもR\R上のベクトル空間である。

  1. 実数を成分とする数ベクトルの全体Rn\R^n
  2. 実数を係数とする多項式の全体R[x]\R[x]
  3. 実m×nm\times n行列の全体Mm,n(R)M_{m,n}(\R)
  4. 閉区間[a,b][a,b]上の実数値連続関数の全体C([a,b],R)C([a,b],\R)

証明. 四つの集合を、それぞれ{1,…,n}\{1,\ldots,n\}、R\R、{1,…,m}×{1,…,n}\{1,\ldots,m\}\times \{1,\ldots,n\}、[a,b][a,b]上の実数値関数の集合とみなす。いずれの場合も、和と実数倍は各点の値について

(f+g)(t)=f(t)+g(t),(cf)(t)=cf(t)(f+g)(t)=f(t)+g(t),\qquad (cf)(t)=c f(t)

と定まる。数ベクトルと行列では成分をttとみなす。

Rn\R^nとMm,n(R)M_{m,n}(\R)は成分ごとの和と実数倍で閉じている。R[x]\R[x]も、多項式の和と実数倍が再び実係数多項式になるので閉じている。C([a,b],R)C([a,b],\R)も、連続関数の和と実数倍が連続であることから閉じている。したがって四つの場合のいずれでも、和と実数倍は対象の集合上の演算になる。

零関数t↦0t\mapsto0が (V3) の零ベクトルであり、ffの逆元は−f:t↦−f(t)-f:t\mapsto-f(t)である。さらに、任意のttについて実数の結合法則と交換法則から

((f+g)+h)(t)=(f+(g+h))(t),(f+g)(t)=(g+f)(t)((f+g)+h)(t)=(f+(g+h))(t),\qquad (f+g)(t)=(g+f)(t)

が成り立つので (V1), (V2) が成り立つ。同様に、実数の分配法則と積の結合法則から

(c(f+g))(t)=(cf+cg)(t),((c+d)f)(t)=(cf+df)(t),((cd)f)(t)=(c(df))(t),(1f)(t)=f(t)\begin{aligned} (c(f+g))(t)&=(cf+cg)(t), & ((c+d)f)(t)&=(cf+df)(t),\\ ((cd)f)(t)&=(c(df))(t), & (1f)(t)&=f(t) \end{aligned}

がすべてのttについて成り立つので (V5)–(V8) が成り立つ。以上により、四つの集合は定義 1.1の公理をすべて満たす。▨

注意 3.2. 数列の全体や線形微分方程式の解の全体も、和と実数倍について閉じていれば同じ枠組みで扱うことができる。ベクトル空間の公理から導かれる基底、次元、線形写像に関する結果は、数ベクトルだけでなく多項式、行列、関数にも適用される。ベクトル空間を判定する際には、元の具体的な表示ではなく、スカラー体と二つの演算を明示して公理を確認する。次稿では、和とスカラー倍について閉じた部分集合を部分空間として扱う。

例 3.3 (通常と異なる演算によるベクトル空間). 正の実数全体R>0\R_{>0}に、「和」をx⃗⊕y⃗=xy\vec x \oplus \vec y = xy(通常の積)、「スカラー倍」をc⊙x⃗=xcc \odot \vec x = x^cで定めると、これはR\R上のベクトル空間になる。零ベクトルは11(x⊕1=x⋅1=xx \oplus 1 = x\cdot 1 = x)、xxの逆元は1/x1/xである。また、c⊙(x⃗⊕y⃗)=(xy)c=xcyc=(c⊙x⃗)⊕(c⊙y⃗)c \odot (\vec x \oplus \vec y) = (xy)^c = x^c y^c = (c \odot \vec x) \oplus (c \odot \vec y)など、公理はすべて指数法則から従う。実際、log⁡(xy)=log⁡x+log⁡y\log(xy)=\log x+\log yおよびlog⁡(xc)=clog⁡x\log(x^c)=c\log xであるため、対数写像はこの二つの演算を通常のR\Rの和と実数倍へ移す。この例は、ベクトル空間の構造が元の表示ではなく演算と公理によって定まることを示している。

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