1 内積の公理とノルム
定義 1.1 (内積・内積空間). 実ベクトル空間V上の内積とは、二項演算⟨⋅,⋅⟩:V×V→Rで、任意のx,y,z∈V,c∈Rに対し次を満たすものをいう。内積を備えたVを内積空間という。
- 対称性:⟨x,y⟩=⟨y,x⟩
- 第1引数についての線形性:⟨cx+z,y⟩=c⟨x,y⟩+⟨z,y⟩(対称性より第2引数についても線形)
- 正定値性:⟨x,x⟩≥0であり、=0となるのはx=0のときに限る
定義 1.3 (ノルム・直交).∥x∥=⟨x,x⟩をxのノルム(長さ)、⟨x,y⟩=0をx⊥y(直交)と定める。
定理 1.4 (コーシー・シュワルツの不等式). 内積空間の任意のx,yに対し∣⟨x,y⟩∣≤∥x∥∥y∥.
証明.y=0なら両辺0で成立。y=0とする。任意の実数tに対し正定値性より
=∥x∥2−2t⟨x,y⟩+t2∥y∥2.これはtの2次式で、常に≥0だから判別式が≤0:4⟨x,y⟩2−4∥x∥2∥y∥2≤0。移項して平方根をとれば∣⟨x,y⟩∣≤∥x∥∥y∥。▨
系 1.5 (三角不等式).∥x+y∥≤∥x∥+∥y∥。
証明.∥x+y∥2=∥x∥2+2⟨x,y⟩+∥y∥2≤∥x∥2+2∥x∥∥y∥+∥y∥2=(∥x∥+∥y∥)2(コーシー・シュワルツを使用)。両辺の平方根をとる。▨
x,yがともに零ベクトルでないとき、コーシー・シュワルツは
−1≤∥x∥∥y∥⟨x,y⟩≤1
を保証する。したがって0≤θ≤πの範囲でcosθ=⟨x,y⟩/(∥x∥∥y∥)と置くことで二ベクトルの角度を定義できる。xまたはyが零ベクトルなら分母が0になるため、零ベクトルとの角度は定義しない。
定義 1.6 (正規直交系・正規直交基底). 内積空間Vの有限族(ei)i=1kが、すべてのiについて∥ei∥=1を満たし、i=jならばei⊥ejを満たすとき、この族を 正規直交系 (orthonormal system) といいます。さらに{e1,…,ek}がVの基底であるとき、この基底を 正規直交基底 (orthonormal basis) といいます。
2 グラム・シュミットの直交化
任意の基底から、正規直交基底(互いに直交し長さ1)を作る手続きがグラム・シュミットの直交化です。核心は、あるベクトルから、既に直交化した方向の成分(射影)を引くこと。下の図の通りです。
定理 2.1 (グラム・シュミット). 一次独立なv1,…,vkに対し、ui=vi−∑j<i⟨uj,uj⟩⟨vi,uj⟩uj,ei=∥ui∥uiと順に定めると、{e1,…,ek}は正規直交系で、各mに対しspan{e1,…,em}=span{v1,…,vm}。
証明.iについての帰納法で「u1,…,uiは互いに直交する0でないベクトル」を示す。u1=v1=0。u1,…,ui−1まで互いに直交かつ0でないとする。まずi>lを任意にとると(l<i)、直交性の帰納法の仮定よりj=lの項が消え、
−j<i∑⟨uj,uj⟩⟨vi,uj⟩⟨uj,ul⟩=⟨vi,ul⟩−⟨ul,ul⟩⟨vi,ul⟩⟨ul,ul⟩=0.よってuiはu1,…,ui−1すべてに直交する。またui=0ならvi∈span{u1,…,ui−1}=span{v1,…,vi−1}となり一次独立性に反するからui=0。これで正規化ei=ui/∥ui∥ができ、{ei}は正規直交系。定義式はui(したがってei)とviが同じ前の項たちで互いに移り合う形なので、張る空間は各段で一致する。▨
一般には、既に作った直交成分をすべて引き去り、最後に正規化する——引く相手は直前の1本ではなくそれまでに作った全部、というのが要点です。
例 2.2 (R2で手続きを実行する).v1=(1,1)、v2=(1,0)に定理 2.1を適用します。まずu1=v1=(1,1)。次に
u2=v2−⟨u1,u1⟩⟨v2,u1⟩u1=(1,0)−21(1,1)=(21,−21)となり、⟨u1,u2⟩=21−21=0で確かに直交しています。{u1,u2}が求める直交基底の一組で、さらに正規化すればe1=21(1,1)、e2=21(1,−1)という正規直交基底になります。
3 正規直交基底の御利益
命題 3.1 (正規直交展開).{e1,…,en}を正規直交基底とすると、任意のxに対しx=∑i=1n⟨x,ei⟩ei.
証明. 基底ゆえx=∑icieiと一意に書ける。両辺とejの内積をとると、⟨ei,ej⟩はi=jのとき1、それ以外0だから⟨x,ej⟩=∑ici⟨ei,ej⟩=cj。よってcj=⟨x,ej⟩。▨
展開係数が内積で即座に出るのが正規直交基底の御利益です。射影・最小二乗法・フーリエ係数が、すべてこの「内積で成分を取り出す」形になります。
命題 3.2 (正射影は最良近似).{e1,…,ek}を正規直交系、W=span{ei}、p=∑i=1k⟨x,ei⟩eiとすると、x−pはWに直交し、pはWの中でxに最も近い点である(w∈Wに対し∥x−p∥≤∥x−w∥、等号はw=p)。とくに∑i=1k∣⟨x,ei⟩∣2≤∥x∥2(ベッセルの不等式)。
証明. 各jで⟨x−p,ej⟩=⟨x,ej⟩−⟨x,ej⟩=0よりx−p⊥W。w∈Wに対しp−w∈Wゆえx−p⊥p−w、ピタゴラスの定理より∥x−w∥2=∥x−p∥2+∥p−w∥2≥∥x−p∥2。ベッセルは0≤∥x−p∥2=∥x∥2−∥p∥2=∥x∥2−∑i∣⟨x,ei⟩∣2から。▨
例 3.3 (正射影としての最小二乗).A=(11)、b=(20)とし、∥At−b∥を最小にするt∈Rを求める。Aの列空間はW=span{(1,1)⊤}で、その正規直交基底はe=2−1/2(1,1)⊤である。したがってbのWへの正射影は
⟨b,e⟩e=(11)=A⋅1である。命題 3.2より、最小二乗解はt=1である。列が一次独立な一般の行列について、列空間の正規直交基底を QR 分解で作る方法を§D3.17 定理 3.1で扱う。
これが最小二乗法(データに最も近い部分空間の点を選ぶ)とフーリエ級数(関数を三角関数の張る空間へ射影する)の共通の骨格です。
例 3.4 (ルジャンドル多項式). 実係数多項式の空間R[x]に⟨f,g⟩=∫−11f(x)g(x)dxを入れると、これは内積になります。対称性と双線形性は積分の性質から従います。また⟨f,f⟩=∫−11f(x)2dx≥0であり、fが零多項式でなければf(x0)=0となるx0∈[−1,1]が存在します。連続性によりx0の近くでf(x)2は正ですので⟨f,f⟩>0です。したがって正定値性も成り立ちます。
この内積について、一次独立な1,x,x2,…にグラム・シュミット(定理 2.1)を適用すると、直交多項式の列(正規化前で1, x, x2−31, …)が得られます。これがルジャンドル多項式で、球面調和関数や静電ポテンシャルの展開に現れます。内積の中身が和∑から積分∫に変わるだけで、有限次元とまったく同じ手続きが働いている——これが「関数を無限次元ベクトルとして扱う」関数解析の入口です。