1 正の行列と、そこで最大になる比
まず、扱う対象と、証明の中心になる量を定めます。
定義 1.1 (正の行列と非負の行列). 実行列A=(aij)について、すべての成分がaij>0を満たすときAを正の行列といい、A>Oと書く。すべての成分がaij≥0を満たすときAを非負の行列という。ベクトルについても同様に、成分がすべて正であることをx>0、成分がすべて0以上であることをx≥0と書く。
定義 1.2 (確率ベクトルの集合と比の最小値).n≥1とし
Δ={x∈Rn:x≥0, i=1∑nxi=1}とおく。Δの要素を確率ベクトルという。Aをn次の正の行列とし、x∈Δに対し
f(x)=min{xi(Ax)i:xi>0}と定める。また∥y∥1=∑i∣yi∣と書き、x∈Δに対しT(x)=∥Ax∥1Axと定める。
f(x)は、Ax≥txが成り立つ最大のtです。実際、xi=0となる成分では(Ax)i>0=txiが自動的に成り立ちますので、条件が効くのはxi>0の成分だけです。T(x)はAxを確率ベクトルへ直したものです。次の補題が、証明の全体を通じて働きます。
補題 1.3 (比は 1 回の作用で真に増える).Aをn次の正の行列、x∈Δ、t=f(x)、z=Ax−txとする。このときT(x)∈Δであり、次が成り立つ。
- t≥mink,lakl>0である。
- z=0ならばAx=txかつT(x)=xである。
- z=0ならばf(T(x))>tである。
証明.x∈Δはx≥0かつx=0を満たすから、A>OよりAx>0であり∥Ax∥1>0である。よってT(x)は定まり、成分は正で和が1であるからT(x)∈Δである。またα=mink,lakl>0とおくと、(Ax)i≥α∑jxj=αかつxi≤1であるからt=f(x)≥α>0であり、これが1である。
2について。z=0はAx=txにほかならない。このとき∥Ax∥1=t∑ixi=tであるからT(x)=Ax/t=xである。
3について。z≥0かつz=0であるから、A>OよりAz>0である。y=AxとおくとAz=Ay−ty>0、すなわちAy>tyである。s=∥y∥1>0で割るとAT(x)>tT(x)となる。T(x)の成分はすべて正であるから、各iについて(AT(x))i/T(x)i>tであり、f(T(x))>tを得る。▨
最大値の存在を示すために、Δの中で成分が下から一様に押さえられた部分を取り出します。ここで
1つだけ、線形代数の外の事実を用います。
定理 1.4 (認めて用いる事実).Rnの有界で閉じた空でない部分集合の上で定義された連続関数は、最大値をとる。
2 最大固有値と正の固有ベクトル
準備が整いましたので、主定理を述べます。証明の骨格は、fの最大値を与える点が固有ベクトルになることを、補題 1.3の3から導く、というものです。
定理 2.1 (ペロンの定理).Aをn次の正の行列とする。このとき、次を満たす実数λ>0が存在する。
- Av=λvかつv>0を満たすvが存在する。
- Aの固有値μ∈Cがμ=λを満たすならば∣μ∣<λである。すなわち、絶対値が最大の固有値はλただ一つである。
- λの固有空間は1次元である。
証明.α=mink,lakl>0、M=maxj∑iaij、c=α/Mとおき
Δc={x∈Δ:xi≥c (1≤i≤n)}とする。x∈Δに対し(Ax)i≥αかつ∥Ax∥1=∑j(∑iaij)xj≤MであるからT(x)∈Δcである。とくにΔcは空でない。Δcは有限個の不等式と1本の等式で定まるので閉じており、Δに含まれるので有界である。Δcの上では各成分がc>0以上であるから、(Ax)i/xiは連続であり、fは有限個の連続関数の最小値として連続である。定理 1.4より、fはΔcで最大値をとる。その最大値をλ、最大値を与える点をvとする。v∈Δcよりv>0であり、補題 1.3の1よりλ≥α>0である。
λがΔ全体でもfの最大値であることを示す。x∈Δに対しT(x)∈Δcであり、補題 1.3の2と3よりf(T(x))≥f(x)であるからf(x)≤f(T(x))≤λである。
1を示す。z=Av−λvとおく。z=0とすると、補題 1.3の3よりT(v)∈Δcについてf(T(v))>λとなり、λがΔcでの最大値であることに反する。よってAv=λvであり、v>0である。
2を示す。μを固有値、w∈CnをAw=μwを満たす0でないベクトルとし、∣w∣を成分が∣wi∣であるベクトルとする。各iについて
∣μ∣∣wi∣=j∑aijwj≤j∑aij∣wj∣であるからA∣w∣≥∣μ∣∣w∣である。u=∣w∣/∥∣w∣∥1∈Δとおくとf(u)≥∣μ∣であり、上で示したことから∣μ∣≤λである。
∣μ∣=λと仮定する。f(u)≥λとf(u)≤λからf(u)=λであり、補題 1.3の3をuに適用すると、Au−λu=0はf(T(u))>λを導いて矛盾する。よってAu=λuであり、u=Au/λ>0、すなわちすべてのjについて∣wj∣>0である。さらに、各iについて上の不等式が等号で成り立つ。
複素数についての等号の条件を用いる。複素数c1,…,cnについて∑jcj≤∑j∣cj∣であり、等号が成り立つのは、絶対値が1の複素数ζと0以上の実数tjによってcj=tjζと書けるときに限る。実際、∑jcj=0のときζ=∑jcj/∑jcjとおくと∑jcj=∑jRe(ζcj)≤∑j∣cj∣であり、等号は各jについてRe(ζcj)=∣cj∣、すなわちζcjが0以上の実数であることと同値である。∑jcj=0のときは、等号はすべてのcjが0であることを意味する。
cj=aijwjに適用すると、aij>0かつ∣wj∣>0よりcj=0であるから、すべてのjについてwjはζの正の実数倍である。すなわちw=ζ∣w∣である。Aw=μwに代入してζA∣w∣=μζ∣w∣、したがってA∣w∣=μ∣w∣を得る。一方A∣w∣=λ∣w∣であり∣w∣=0であるからμ=λである。よってμ=λならば∣μ∣<λである。
3を示す。まずy∈RnがAy=λyを満たすとする。t=mini(yi/vi)とおくと、v>0よりy−tv≥0であり、最小値を与える添字i0について(y−tv)i0=0である。y−tv=0とするとA(y−tv)>0であるが、A(y−tv)=λ(y−tv)の第i0成分は0であり、矛盾する。よってy=tvである。次にy∈CnがAy=λyを満たすとする。Aとλは実であるから、実部と虚部のそれぞれが同じ等式を満たし、いずれもvの実数倍である。よってyはvの複素数倍であり、固有空間は1次元である。▨
λをAのペロン根、vをペロンベクトルと呼びます。次の補題は、成分がすべて正である固有ベクトルをもつ固有値がλに限ることを述べます。確率行列へ適用するときに使います。
補題 2.2 (正の固有ベクトルをもつ固有値).Aをn次の正の行列、λを定理 2.1の実数とする。
- A⊤のペロン根はλに等しい。
- Ax=μxかつx>0を満たす実数μとベクトルxがあればμ=λである。
証明.A⊤も正の行列であるから、定理 2.1を適用して、λ′>0とw>0でA⊤w=λ′wを満たすものが取れる。vをAのペロンベクトルとすると
λ′w⊤v=(A⊤w)⊤v=w⊤(Av)=λw⊤vであり、w>0かつv>0よりw⊤v>0であるからλ′=λである。これが1である。
2については、同じ計算をxについて行えばよい。λw⊤x=(A⊤w)⊤x=w⊤(Ax)=μw⊤xでありw⊤x>0であるからμ=λである。▨
3 確率行列と定常分布
各列の成分の和が1である行列へ適用します。この形の行列は、確率ベクトルを確率ベクトルへ写します。
定義 3.1 (確率行列と定常分布).n次の非負行列P=(pij)が、すべてのjについて∑i=1npij=1を満たすとき、Pを確率行列という。確率ベクトルπ∈ΔがPπ=πを満たすとき、πをPの定常分布という。
Pが確率行列であることは、成分がすべて1である列ベクトル1についてP⊤1=1が成り立つことと同じです。x∈Δに対しPx≥0であり、成分の和は∑i∑jpijxj=∑jxj=1ですので、Px∈Δです。
定理 3.2 (正の確率行列の定常分布).Pをn次の確率行列で、成分がすべて正であるものとする。このときPのペロン根は1であり、定常分布πがただ一つ存在してπ>0を満たす。
証明.P⊤は正の行列でありP⊤1=1、1>0であるから、補題 2.2の2をP⊤に適用して、P⊤のペロン根は1である。同補題の1より、Pのペロン根も1である。
定理 2.1の1よりPv=v、v>0を満たすvが存在する。π=v/∥v∥1とおくとπ∈Δ、π>0、Pπ=πである。
一意性を示す。π′を定常分布とすると、π′は固有値1の固有ベクトルであり、定理 2.1の3よりπ′=tπと書ける。両辺の成分の和を取ると1=tであるからπ′=πである。▨
4 べき乗が定常分布へ収束すること
定常分布があることと、べき乗がそこへ収束することは、別の主張です。収束を示すために、確率ベクトルの差が1回の作用で一定の割合だけ縮むことを確かめます。
補題 4.1 (差は一定の割合で縮む).Pをn次の確率行列で、すべての成分がδ>0以上であるものとする。d∈Rnが∑idi=0を満たすならば
∥Pd∥1≤(1−nδ)∥d∥1が成り立つ。ここで0≤1−nδ<1である。
証明. まずnδ≤∑ipi1=1であるから1−nδ≥0であり、δ>0より1−nδ<1である。
di+=max(di,0)、di−=max(−di,0)とおくと、d=d+−d−であり、d+≥0、d−≥0である。∑idi=0より∑idi+=∑idi−=:sであり、∥d∥1=2sである。s=0ならばd=0で主張は明らかであるから、s>0とする。
a=Pd+、b=Pd−とおく。各列の成分の和が1であることから∑iai=∑ibi=sである。またai=∑jpijdj+≥δsであり、同様にbi≥δsである。ai,bi≥δsを満たす実数について∣ai−bi∣=ai+bi−2min(ai,bi)≤ai+bi−2δsであるから
∥Pd∥1=i∑∣ai−bi∣≤i∑(ai+bi)−2nδs=2s−2nδs=(1−nδ)∥d∥1となる。▨
定理 4.2 (べき乗の収束).Pをn次の確率行列で成分がすべて正であるものとし、δ=mini,jpij>0、πを定理 3.2の定常分布とする。任意の確率ベクトルp∈Δについて
∥Pkp−π∥1≤(1−nδ)k∥p−π∥1(k=0,1,2,…)が成り立つ。とくにk→∞のときPkpはπへ収束する。
証明.Pπ=πよりPkp−π=Pk(p−π)である。d=p−πは∑idi=1−1=0を満たし、Pdの成分の和も0であるから、補題 4.1をk回繰り返して適用することができ、不等式を得る。0≤1−nδ<1であるから(1−nδ)kは0へ収束し、∥Pkp−π∥1→0である。各成分の差の絶対値は∥⋅∥1以下であるから、成分ごとにも収束する。▨
例 4.3 (2 状態の確率行列).
P=(0.90.10.50.5)は各列の成分の和が1で、成分はすべて正です。Pv=vを解くと0.9v1+0.5v2=v1、すなわち0.5v2=0.1v1ですのでv1=5v2であり、π=(65,61)⊤です。検算すると0.9⋅65+0.5⋅61=64.5+60.5=65となります。
δ=0.1、n=2ですので、縮む割合は1−2⋅0.1=0.8です。p=(1,0)⊤から始めるとPp=(0.9,0.1)⊤、P2p=(0.86,0.14)⊤です。∥p−π∥1=31ですので定理 4.2の評価は∥P2p−π∥1≤0.82⋅31=0.213…を与えます。実際の値は20.86−65=0.0533…であり、評価を満たしています。
5 成分に 0 を許すと何が変わるか
ここまでの証明は、A>Oという条件を、z≥0かつz=0からAz>0を導く箇所で本質的に使いました。成分に0を許すと、この一手が働きません。結論のどれが、どの条件に支えられているかを分けます。
例 5.1 (非負行列では正の固有ベクトルが取れない).A=(1002)は非負行列です。絶対値が最大の固有値は2ですが、その固有ベクトルは(0,1)⊤の実数倍に限られ、成分をすべて正に取ることはできません。定理 2.1の1が成り立ちません。
例 5.2 (既約であってもべき乗は収束しない).P=(0110)は確率行列です。Pπ=πを解くとπ=(21,21)⊤がただ一つの定常分布です。しかしP2=Iですので、P2k=I、P2k+1=Pとなり、p=(1,0)⊤から始めるとPkpは(1,0)⊤と(0,1)⊤を交互に取り、収束しません。定常分布がただ一つ存在することと、べき乗が収束することは別の主張です。
例 5.3 (定常分布がただ一つとは限らない).P=I2は確率行列です。すべての確率ベクトルがPx=xを満たしますので、定常分布は無数にあります。定理 3.2の一意性は、成分がすべて正であるという条件に支えられています。
7 自分で確かめる
次の三つを、資料を見ずに行ってください。
- A=(1324)について、x=(21,21)⊤でのf(x)を計算し、Ax≥f(x)xが成り立つことを確かめてください。さらにT(x)を求め、f(T(x))>f(x)となることを確かめてください。
- 例 4.3のPについてP3pを計算し、定理 4.2の評価と比べてください。
- 例 5.2のPが既約であることを定義に従って確かめ、原始的でないことをPkの形から説明してください。
3では、Pkがkの偶奇によってIとPのいずれかになり、どちらにも0の成分が残ることを見ます。