1 レゾルベントとスペクトル
定義 1.1.X={0}を複素 Banach 空間とし、B(X)をX上の有界線形作用素の全体(§E12.2 定義 1.1)とし、T∈B(X)とする。λI−Tが全単射で、その逆が有界であるようなλ∈Cの集合をレゾルベント集合 (resolvent set)ρ(T)という。その補集合
σ(T)=C∖ρ(T)をTのスペクトル (spectrum) という。λ∈ρ(T)に対して
R(λ,T)=(λI−T)−1をレゾルベント作用素 (resolvent operator) という。
有界逆写像定理により、λI−Tが全単射なら逆写像は自動的に有界である。
定義 1.2.λ∈σ(T)とする。
- λI−Tが単射でないとき、λは点スペクトル (point spectrum) に属する。
- λI−Tが単射であり、値域が稠密であるが全射でないとき、λは連続スペクトル (continuous spectrum) に属する。
- λI−Tが単射であり、値域が稠密でないとき、λは剰余スペクトル (residual spectrum) に属する。
2 Neumann 級数
補題 2.1 (Neumann 級数).Xを Banach 空間とし、A∈B(X)が∥A∥<1を満たすとする。このとき
n=0∑∞Anは作用素ノルムで収束し、その和は(I−A)−1に等しい。
証明.B(X)は作用素ノルムに関して Banach 空間である§E12.2 定理 2.1。∥An∥≤∥A∥nと幾何級数の収束から、CN=∑n=0NAnはB(X)の Cauchy 列であり、あるC∈B(X)に収束する。有限和について
(I−A)CN=CN(I−A)=I−AN+1が成り立つ。∥AN+1∥≤∥A∥N+1→0なので、作用素ノルムで極限を取ると(I−A)C=C(I−A)=Iを得る。したがってC=(I−A)−1である。▨
命題 2.2.ρ(T)は開集合である。写像R(⋅,T):ρ(T)→B(X)は作用素ノルムに関して正則であり、
dλdR(λ,T)=−R(λ,T)2を満たす。また、λ,μ∈ρ(T)に対して
R(λ,T)−R(μ,T)=(μ−λ)R(λ,T)R(μ,T)(1)が成り立つ。
証明.λ0∈ρ(T)とし、R0=R(λ0,T)と置く。h=λ−λ0が∣h∣∥R0∥<1を満たすとき、
λI−T=(λ0I−T)(I+hR0)である。補題 2.1によりI+hR0は可逆なので、λ∈ρ(T)である。したがってρ(T)は開集合である。さらに
R(λ0+h,T)=(I+hR0)−1R0=n=0∑∞(−h)nR0n+1.(2)級数は∣h∣∥R0∥<1で作用素ノルム収束する。式 (2) から
hR(λ0+h,T)−R0+R02≤1−∣h∣∥R0∥∣h∣∥R0∥3⟶0である。したがってRはλ0で複素微分可能であり、導関数は−R02である。λ0は任意なのでRは正則である。
最後に、可逆作用素A,Bに対するA−1−B−1=A−1(B−A)B−1をA=λI−T、B=μI−Tに適用すると (1) を得る。▨
3 スペクトルの非空コンパクト性
定理 3.1.X={0}を複素 Banach 空間とし、T∈B(X)とする。このときσ(T)は空でないコンパクト集合であり、
σ(T)⊂{λ∈C:∣λ∣≤∥T∥}が成り立つ。
証明.∣λ∣>∥T∥なら∥T/λ∥<1であり、補題 2.1により
(λI−T)−1=λ1(I−λT)−1=λ1n=0∑∞(λT)n.(3)したがってλ∈ρ(T)であり、σ(T)は半径∥T∥の閉円板に含まれる。命題 2.2によりρ(T)は開集合なので、σ(T)は閉集合である。よってσ(T)は有界閉集合であり、Cの Heine–Borel の定理によりコンパクトである。
σ(T)=∅と仮定する。このときR(λ,T)はC全体で正則である。x∈Xとx∗∈X∗を固定し、
fx,x∗(λ)=x∗(R(λ,T)x)と置く。命題 2.2とx∗の連続性により、fx,x∗は整関数である。式 (3) と幾何級数の評価から、∣λ∣>∥T∥では
∥R(λ,T)∥≤∣λ∣−∥T∥1.(4)したがって∣λ∣→∞のときfx,x∗(λ)→0である。十分大きい円板の外側では
(4) により有界であり、円板上では連続関数なので有界である。Liouville の定理§E5.9 定理 4.1によりfx,x∗は定数であり、無限遠での極限から恒等的に0である。
よって、すべてのλ∈C、x∈X、x∗∈X∗についてx∗(R(λ,T)x)=0である。双対による点分離§E12.3 系 3.1からR(λ,T)x=0であり、R(λ,T)=0となる。しかしX={0}なので、零作用素はλI−Tの逆作用素ではない。これは矛盾である。したがってσ(T)は空でない。▨
実 Banach 空間上の作用素を扱う場合には、通常は複素化してスペクトルを定義する。
4 片側シフト
ℓ2の内積を
⟨x,y⟩=n=1∑∞xnyn
とし、第一変数について線形とする。右シフトSと左シフトLを
S(x1,x2,…)=(0,x1,x2,…),L(x1,x2,…)=(x2,x3,…)
で定める。SとLは§E12.2 例 2.3の右シフトと左シフトをp=2とした場合であり、同例により∥S∥=∥L∥=1である。
例 4.1 (固有値をもたない右シフト). 右シフトSは固有値をもたない。実際、Sx=λxを成分ごとに比較すると、λ=0では第一成分からx1=0、以後すべての成分が0となる。λ=0でもSの単射性からx=0である。
補題 4.2. すべてのλ∈Cについて
Ran(λI−S)=Ker(λI−L)⊥.(5)
証明. 任意のx,y∈ℓ2に対して、絶対収束する内積級数の添字を一つずらすと
⟨Sx,y⟩=n=1∑∞xnyn+1=⟨x,Ly⟩.内積の第二変数における共役線形性から
⟨(λI−S)x,y⟩=⟨x,(λI−L)y⟩.したがって
Ran(λI−S)⊥=Ker(λI−L).(6)Ran(λI−S)はℓ2の線形部分空間であるから、(6) の両辺の直交補空間を取り、左辺へ§E12.8 命題 2.3を適用すると
Ran(λI−S)=(Ran(λI−S)⊥)⊥=Ker(λI−L)⊥となり、(5) を得る。▨
上の証明で確かめた⟨Sx,y⟩=⟨x,Ly⟩は、LがSの共役作用素であることを意味する。等式 (5) は、共役作用素について一般に成り立つRanA=Ker(A∗)⊥を、シフトに対して直接書いたものである。
命題 4.3.Lの点スペクトルは開単位円板D={μ∈C:∣μ∣<1}である。μ∈Dに対する固有ベクトルとして
y(μ)=(1,μ,μ2,…)を取ることができる。
証明.Ly=μyはyn+1=μynと同値なので、非零解はyn=μn−1y1の形である。この数列がℓ2に属することは
n=1∑∞∣μ∣2(n−1)<∞と同値であり、さらに∣μ∣<1と同値である。∣μ∣<1ならy1=1として表示された固有ベクトルを得る。▨
定理 4.4. 右シフトSのスペクトルは閉単位円板である。
σ(S)={λ∈C:∣λ∣≤1}.Sの点スペクトルは空であり、∣λ∣<1は剰余スペクトル、∣λ∣=1は連続スペクトルに属する。
証明.例 4.1によりSの点スペクトルは空である。∣λ∣<1とする。命題 4.3によりKer(λI−L)は非零である。補題 4.2から
Ran(λI−S)=Ker(λI−L)⊥=ℓ2.したがってλI−Sの値域は稠密でなく、特に全射でない。単射ではあるので、λは剰余スペクトルに属する。よってD⊂σ(S)である。
定理 3.1によりσ(S)は閉集合なのでD⊂σ(S)である。一方、∥S∥=1と同定理からσ(S)⊂Dである。したがって等号が成り立つ。
∣λ∣=1では命題 4.3によりKer(λI−L)={0}なので、補題 4.2からRan(λI−S)は稠密である。しかしλ∈σ(S)なので全射ではなく、λI−Sは単射である。したがって境界上のλは連続スペクトルに属する。▨
5 演習
問題 5.1 (Neumann 級数とレゾルベントの積).∣λ∣>∥T∥のとき、式 (3) の右辺とλI−Tの積を有限部分和から計算し、式 (3) が成り立つことを確かめよ。
解答.
CN=λ1∑n=0N(λT)nと置く。λI−T=λ(I−λT)であり、TとT/λは可換なので
(λI−T)CN=(I−λT)n=0∑N(λT)n=I−(λT)N+1=CN(λI−T)である。∥T/λ∥<1であるから(T/λ)N+1≤∥T/λ∥N+1→0であり、補題 2.1により(CN)は作用素ノルムについて収束する。積は作用素ノルムについて連続なので、極限を取ると(λI−T)C=C(λI−T)=Iを得る。したがってC=(λI−T)−1である。▨
問題 5.2 (レゾルベントの導関数の符号).dλdR(λ,T)=−R(λ,T)2の右辺の符号が負であることを、スカラー関数(λ−a)−1の微分と比較して確認せよ。
解答.
X=Cとし、a∈Cに対してTz=azと置く。λ=aに対してλI−Tはz↦(λ−a)zであり、R(λ,T)は(λ−a)−1倍の作用素である。
dλd(λ−a)−1=−(λ−a)−2であるから、この場合の導関数は−R(λ,T)2に一致する。一般の場合に同じ符号が現れる理由は式 (2) にある。R(λ0+h,T)=R0−hR02+h2R03−⋯であり、hの一次の係数は−R02である。これは、スカラーの場合の展開(λ0−a+h)−1=∑n=0∞(−h)n(λ0−a)−(n+1)においてhの一次の係数が−(λ0−a)−2であることと同じ形である。▨
問題 5.3 (右シフトの値域が稠密でないこと).∣λ∣<1に対してy=(1,λ,λ2,…)を取り、⟨(λI−S)x,y⟩=0がすべてのx∈ℓ2について成り立つことを直接確認せよ。
解答.
∣λ∣<1なので∑n≥1∣λn−1∣2=∑n≥1∣λ∣2(n−1)<∞であり、y∈ℓ2である。yn=λn−1からyn=λn−1なので、x∈ℓ2に対して
⟨x,y⟩=n=1∑∞xnλn−1,⟨Sx,y⟩=n=1∑∞xnyn+1=n=1∑∞xnλnである。いずれの級数も∣λ∣<1と Cauchy–Schwarz の不等式により絶対収束する。したがって
⟨(λI−S)x,y⟩=λn=1∑∞xnλn−1−n=1∑∞xnλn=0である。y=0であり、Ran(λI−S)はyと直交するので稠密ではない。これは共役作用素の一般論を用いずに行った確認である。▨
問題 5.4 (スペクトルの非空性の再構成).定理 3.1の非空性の証明を再構成せよ。あわせて、作用素値の正則関数に Liouville の定理を直接適用せず、連続線形汎関数によってスカラー化する理由も説明せよ。
解答.
再構成は次の三段による。
- σ(T)=∅を仮定するとR(⋅,T)はC全体で正則であり、x∈Xとx∗∈X∗を固定するとfx,x∗(λ)=x∗(R(λ,T)x)は整関数である。
- ∣λ∣>∥T∥では Neumann 級数から∥R(λ,T)∥≤(∣λ∣−∥T∥)−1であるから、fx,x∗は有界であり、∣λ∣→∞で0に収束する。
- Liouville の定理によりfx,x∗は定数であり、無限遠での極限から恒等的に0である。双対が点を分離することからR(λ,T)=0となり、X={0}に矛盾する。
スカラー化する理由は、本記事が用いる Liouville の定理が複素数値の整関数について述べられており、作用素値の正則関数に対する形を用意していないことにある。xとx∗を固定して得られるfx,x∗は複素数値の整関数なので、既知の Liouville の定理をそのまま適用することができる。スカラーについて得られた結論を作用素へ戻す段で、双対による点分離が必要になる。▨
6 Banach 環への展望
本単元の後半では、積とノルムを備えた Banach 環へスペクトル論を移し、作用素の枠組みから代数的な枠組みへ進む。