1 正規な上三角行列
補題 1.1. 複素上三角行列R∈Mn(C)が
R∗R=RR∗を満たすなら、Rは対角行列である。
証明方針は、二つの積の(1,1)成分を比較して第1行の非対角成分を消し、残る主小行列へ帰納法を適用することである。
証明.nについて帰納法を用いる。n=0,1では主張は成立する。n≥2とする。Rは上三角なので、第1列で零でない可能性があるのはr11だけである。したがって
(R∗R)11=∣r11∣2.一方、
(RR∗)11=j=1∑n∣r1j∣2.正規性から二つは等しいので
j=2∑n∣r1j∣2=0.各項は非負であるからr1j=0 (j≥2)である。上三角性と合わせると
R=(r1100R1)となり、R1も上三角である。正規性の等式をブロックごとに比較するとR1∗R1=R1R1∗なので、帰納法の仮定からR1は対角行列である。よってRも対角行列である。▨
2 複素正規作用素
定理 2.1 (複素有限次元スペクトル定理).Vを有限次元複素内積空間、T∈End(V)とする。次は同値である。
- Tは正規である。
- VにはTの固有ベクトルからなる正規直交基底が存在する。
- 任意の正規直交基底に関するTの表現行列Aに対し、ユニタリ行列Qと対角行列Dが存在してA=QDQ∗と表される。
証明方針は、正規作用素へ Schur のユニタリ三角化を適用し、補題 1.1によって上三角行列を対角行列にすることである。逆向きは対角行列とその随伴が可換することから従う。
証明.(1)⇒(2)を示す。§E3.36 定理 2.1により、ある正規直交基底に関するTの表現行列Rは上三角である。正規性は正規直交基底に関する行列でR∗R=RR∗と表されるので、補題 1.1からRは対角行列である。したがって、この正規直交基底は固有ベクトルからなる。
(2)⇒(3)を示す。その正規直交固有基底に関する表現行列をDとするとDは対角行列である。最初に固定した正規直交基底からこの固有基底への基底変換行列をQとすれば、QはユニタリでありA=QDQ∗となる。
(3)⇒(1)を示す。Dは対角行列なのでD∗D=DD∗である。また
A∗=QD∗Q∗であるから
A∗A=QD∗DQ∗=QDD∗Q∗=AA∗.したがってTは正規である。▨
系 2.2.Tを有限次元複素内積空間の正規作用素とし、相異なる固有値の集合をSpec(T)とする。各固有空間への直交射影をPλとすると
V=⨁⊥λ∈Spec(T)ker(T−λI),I=λ∑Pλ,T=λ∑λPλ,PλPμ=0(λ=μ)が成り立つ。
証明.定理 2.1 (2)の正規直交固有基底を固有値ごとにまとめると、固有空間の直交直和がV全体になる。直交直和に関する射影は和が恒等写像になり、相異なる成分への射影の積は零である。x=∑λxλ、xλ∈ker(T−λI)と書けば
Tx=λ∑λxλ=λ∑λPλxなので作用素の表示も得る。▨
系 2.3.Vを有限次元複素内積空間、T∈EndC(V)とする。
- Tが自己随伴であるための必要十分条件は、Tが正規であり、全ての固有値が実数であることである。
- Tがユニタリであるための必要十分条件は、Tが正規であり、全ての固有値の絶対値が1であることである。
- Tが正作用素であるための必要十分条件は、Tが正規であり、全ての固有値が非負の実数であることである。
証明. 必要性は§E3.35 命題 4.3と、自己随伴作用素・ユニタリ作用素・正作用素が正規であることから従う。正作用素が正規であることは自己随伴性から従う。
逆に、正規直交固有基底に関するTの表現行列をD=diag(λ1,…,λn)とする。全てのλiが実ならD∗=Dである。全ての∣λi∣=1ならD∗D=DD∗=Iである。全てのλi≥0ならD∗=Dであり、x=∑ixieiに対して
⟨Tx,x⟩=i∑λi∣xi∣2≥0.各性質は正規直交基底の変更に依存しないので、対応する十分性を得る。▨
3 実自己随伴作用素
定理 3.1 (実自己随伴作用素のスペクトル定理).Vを有限次元実内積空間、T∈End(V)を自己随伴作用素とする。このとき、VにはTの固有ベクトルからなる実正規直交基底が存在する。したがって、実対称行列は直交行列によって実対角行列へ相似変換される。
証明方針は、実正規直交基底で得られる実対称行列を複素行列とみなして複素スペクトル定理を適用し、各実固有値の複素固有空間が対応する実固有空間の複素化であることを用いて、実固有空間の次元の総和を求めることである。
証明.Vの実正規直交基底を一つ選び、Tの表現行列をAとする。自己随伴性からAT=Aである。AをCn上の行列とみなすとA∗=AT=Aなので、複素上でも自己随伴であり、特に正規である。定理 2.1によりCnはAの複素固有空間の直交直和になる。§E3.35 命題 4.3により、その固有値は全て実数である。
λ∈Rとし、(A−λI)(x+iy)=0、x,y∈Rnとする。A−λIは実行列なので
(A−λI)x=0,(A−λI)y=0.したがって、λに対する複素固有空間は、対応する実固有空間の複素化である。特に複素固有空間の複素次元は実固有空間の実次元に等しい。複素固有空間の次元の総和はnなので、実固有空間の次元の総和もnである。
実固有ベクトルTx=λx、Ty=μyに対して
λ⟨x,y⟩=⟨Tx,y⟩=⟨x,Ty⟩=μ⟨x,y⟩である。したがってλ=μなら二つの実固有空間は直交する。各実固有空間で Gram–Schmidt の手続きを用いて実正規直交基底を選び、それらを連結するとVの実正規直交固有基底を得る。基底ベクトルを列に並べた行列は直交行列なので、行列による結論も従う。▨
4 可換な正規作用素の同時対角化
定理 4.1.Vを有限次元複素内積空間とし、T1,…,Trを二つずつ可換な正規作用素とする。このときVには、全てのTjの固有ベクトルであるベクトルからなる正規直交基底が存在する。
証明方針は、作用素の個数について帰納法を用いることである。最初の作用素の直交固有空間分解を取り、可換性から残りの作用素を各固有空間へ制限し、その制限族へ帰納法を適用する。
証明.rについて帰納法を用いる。r=0,1では、空の条件または定理 2.1により成立する。r≥2とし、r−1個以下の場合を仮定する。
T1の直交スペクトル分解を
V=⨁⊥λEλ,Eλ=ker(T1−λI)とする。j≥2とx∈Eλに対して
T1(Tjx)=Tj(T1x)=λTjxなので、各Eλは全てのTjによって保たれる。
各制限が正規であることを確認する。Tjの相異なる固有値をμとし、その固有空間への直交射影をQμとする。系 2.2と、各固有空間上での作用を比較することにより
Qμ=ν=μ∏μ−νTj−νIである。この積はTjの相異なる固有値ν全体について取り、空積はIとする。実際、このTjの多項式はμ-固有空間上で恒等写像となり、他の固有空間上で零写像となる。各EλはTj-不変なので、Tjの多項式であるQμによっても保たれる。したがって
Eλ=⨁⊥μQμ(Eλ)であり、Qμ(Eλ)⊆ker(Tj−μI)である。よってEλにはTj∣Eλの固有ベクトルからなる正規直交基底が存在し、定理 2.1の逆向きから各制限
Tj∣Eλ:Eλ→Eλは正規である。
さらにQμは自己随伴であるから、x∈Eλ、y∈Eλ⊥に対して
⟨Qμy,x⟩=⟨y,Qμx⟩=0である。よってEλ⊥も全てのQμによって保たれる。Tj=∑μμQμかつTj∗=∑μμQμなので、EλとEλ⊥はTjとTj∗の双方で保たれる。制限どうしは元の可換性を保つ。
各Eλ上の可換な正規作用素T2∣Eλ,…,Tr∣Eλへ帰納法の仮定を適用し、同時固有ベクトルからなる正規直交基底を選ぶ。全てのλについて得た基底を連結すると、固有空間どうしの直交性からVの正規直交基底になる。各基底ベクトルはT1の固有ベクトルであり、帰納法の構成からT2,…,Trの固有ベクトルでもある。▨
5 演習
問題 5.1 (正規な上三角行列の非対角成分).
R=(λ0aμ)が正規であるとする。(R∗R)11=∣λ∣2である一方、(RR∗)11=∣λ∣2+∣a∣2である。正規性から∣a∣2=0、したがってa=0である。この二次の計算を第1行に適用して帰納することが補題 1.1の証明である。